日本舞踊・西川流について

日本舞踊・西川流について

日本舞踊は歌舞伎と同じルーツを持ちます。歌舞伎役者が必ず習得するスキルでもあり、芸妓もこれを学びます。

西川流は歌舞伎の歴史に古くからその名がみられ、現在五大流派と呼ばれる大きな流れのひとつです。

西川流の歴史

名古屋の西川流はおよそ300年前から続く江戸の西川流より分かれ1841年(天保12年)に
三世宗家の高弟であった西川仁蔵が名古屋へと渡り、
初代西川鯉三郎を名乗るようになり、その歴史がはじまり、中部日本を中心に門弟ができました。

初世家元 西川鯉三郎

時代は幕末。
開国に合わせ西洋文化が押し寄せるなか、初世・鯉三郎は能と狂言の長所を取り入れた新しい作風を生み出します。シェイクスピアを日本に紹介し、日本演劇の祖を築いた文学博士の坪内逍遥もその存在を認め、後に鯉三郎についての文章を発表しています。
没後西川流は家元不在の時代を30年ほど迎え、高弟・石松が流派を牽引、大阪や金沢などの芸妓も指導を始め、名古屋市史に数ページ荷わたり西川流を解説される程の存在になります。

二世家元 西川鯉三郎

二世鯉三郎は六代目尾上菊五郎の門弟で、石松の孫・司津と結ばれ昭和初期に名古屋に移住。昭和20年に日本舞踊で唯一の長期公演『名古屋をどり』をはじめ、現在も続いています。
舞踊劇、というジャンルを確立し川端康成、有吉佐和子、木下順二、北條秀司、三島由紀夫、水木洋子、水上勉などの作家と作品を作り、杵屋六左衛門、清元栄寿郎、野沢喜左衛門、団伊久磨など、名人達と数多くの作品を発表、西川流を全国規模の流派に成長させます。

三世家元 西川右近

西川右近は若くして才能溢れ右近は北新地・赤坂・新橋など多くの芸妓公演や長谷川一夫の東宝歌舞伎、美空ひばりなどの舞台を振付、テレビ・ラジオにも多く出演しました。単独の米国公演を2度も実現しました。
21世紀にはいるとNOSS(日本おどりスポーツサイエンス)を中京大学名誉教授・湯浅景元と確立。日本舞踊の枠を超えた活躍で、台湾にも支部ができるほど西川流は成長をしました。

四世家元 西川千雅

現家元の西川千雅は2014年に家元を45歳で継承。NYの美大出身のバイリンガルで2016年国民文化祭あいち総合プロデューサーなど舞踊家のほかにプロデューサーとしても活躍しています。ミュージカル、歌舞伎、ドラマに出演。
2005年愛・地球博開会式出演。にっぽんど真ん中祭りではチームプロデュース、愛知県観光PR団体「あいち戦国姫隊」などもプロデュース。愛知淑徳大学非常勤講師。NOSSを継承し藤田医科大学修士。客員教授は中部大学、名古屋外国語大学、名古屋工科大学。非常勤講師は愛知淑徳大学、椙山女学園大学、名古屋芸術大学。